大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(う)458号 判決

本籍

京都市下京区西木屋町通松原上る二丁目天満町二六六番地

住居

同市東山区山科日の岡夷谷町一七番地

無職

中島六兵衛

明治三二年九月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五〇年二月二五日京都地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 滝本勝出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬及び同中坊公平連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるので、これを引用する。

論旨第一点について

所論1は、原判決は、被告人が大村ミツヱから取得して吉田官及び小山慎一に売却した京都市左京区浄土寺下馬場町一八番地の一その他の土地及びその地上の建物の売上原価を一五三万二、九五〇円としているが、被告人は、昭和三六年一二月一一日弁護士前田外茂雄に右建物の居住者林健次郎及び小山慎一の立退交渉を依頼してその着手金八万円を支払い、林健次郎との間では調停が成立し、それに基づき昭和三八年七月一五日立退料三〇万円を支払い、小山慎一の間ではその居住家屋を同人に売渡すこととなり、そのため測量するなどして昭和三九年三月一〇日菊地測量士に七、〇〇〇円を支払い、さらに同年五月六日右前田弁護士に一〇万円の謝礼を支払い一、五〇〇円相当の手土産をおくつたので、これらの合計四八万八、五〇〇円を加算すべきであるのに、原判決がこれを認めなかつたのは、事実を誤認し審理を尽くさなかつた違法がある、と主張するものである。

そこで検討するに、被告人の当審公判廷における供述、押収してある卓上日誌(当裁判所昭和五〇年押第一七三号の四)の昭和三六年一二月一一日のもの及び同日誌綴(同押号の一)の昭和三九年五月六日のもの、当審において取調べた調停調書、前田外茂雄作成の領収書二通、赤塚節作成の領収書、菊地一郎作成の請求書兼領収書によれば、被告人は、論旨主張のとおり、前記土地、建物を取得するについて、原判決の認定する金員のほかに合計四八万八、五〇〇円を支払つていることが認められる。したがつて、これを認めなかつた原判断には事実誤認があることになるが、これを売上原価に加えて計算すると、昭和三九年度の総所得金額は二、三三三万九、九一四円となり、基礎控除一一万七、五〇〇円を控除し、所定の税率を乗ずるなどして所得税額を算出すると、一、一五八万一、四四〇円となり、これがほ脱額となるわけであるが、これを原判決が認定した逋脱額一、一八七万四、五四八円と比較すると、二九万円余の減少をきたすにすぎないのであるから、本件において右の点の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできない。論旨は理由がない。

所論2は、原判決は、営業費のうち一般経費を、経費標準率を一三パーセントとして算出し六六一万二、三一一円と認定しているが、これは経費標準率を一四・七パーセントとして算出すべきであつて、この点の原判断には経験則違背、事実誤認がある、と主張するものである。

そこで検討するに、論旨が主張する一四・七パーセントというのは、昭和四五年一一月一五日付朝日新聞に掲載された同種業種の所得標準率を根拠とするものであるが、原判決もいうとおり、右の記事自体どの程度の権威があるものであるのか明らかでなく、ましてそれは、昭和四五年のものであるから、昭和三九年以降の逐年の物価上昇それにともなう経費の増大を考えると、昭和三九年度の所得についての本件に、右の数字を適用することは適当ではなく、原審において、弁護人が、検察官の主張する経費をもつてしては不足であるとして、昭和四四年一二月六日付意見書及び昭和四五年五月一五日付書面において主張した一三パーセントの数字は、昭和三九年当時の被告人の営業の実態をもとに、その経費として認めるべき金額は一三パーセントを乗じた金額をもつて適当であると判断した結果と推認するのが相当であるから、本件における一般経費標準率は一三パーセントと認めるの相当である。その旨の原判断は正当であつて、所論の誤りは認められない。

所論3は、被告人方の使用人橘梅代は、被告人の貸金業の手伝いもしていたのであるから、昭和三九年中に同人に支払つた給料一五万二、〇〇〇円、食費の七割一二万六、〇〇〇円、合計二七万八、〇〇〇円をも特別経費として認めるべきであるのに、これを排斥した原判断には事実誤認がある、と主張するものである。

そこで検討するに、被告人は原審及び当審公判廷において、橘梅代も貸金業を手伝つていた旨供述し、前記日記帳にはそれにそう記載のあることが認められるのであるが、同じく被告人方の使用人であつた塩見志津子は、大蔵事務官に対する質問てん末書において、橘梅代は、炊事、掃除など家事を専門とするお手伝いさんで、被告人の貸金業に従事していたのは私だけである旨供述しているところに照らすと、橘梅代は、家事のかたわら折にふれて被告人の指示により貸金業のための使い走りをしていたにすぎないものと認めるのが相当である。もつとも、折にふれての使い走りの手伝いにすぎないにせよ貸金業の手伝いをした以上、その限りで経費として算入する余地もないではないが、同人の仕事は、被告人方における家事が主なものであつて、貸金業の手伝いがどの程度の割合を占めるのかが不明であるから、本件において経費として算入すべき金額を算出する方法もなく、まして、被告人の当審公判廷における供述によれば、塩見志津子も、貸金業の手伝いとともに被告人方の家事の手伝いもしていたというのであるから、塩見志津子に対する昭和三九年度の給料の全額及び食費の七割を特別経費としてすでに認定されている本件において、さらに橘梅代のものをも加算しなければ特別経費の認定において事実誤認があるということはできない。論旨は理由がない。

同第二点について

所論は、量刑不当を主張するものであるが、記録を精査し当審における事実調の結果を加えて検討すると、被告人は戦後貸金業をはじめ、年々その規模を拡大し、不動産を担保にとつてこれを代物弁済として取得していたこともあつて、ぼう大な利益を得て来たのであるが、本件によつて摘発されるまで一度も確定申告をしたことはなく、本件違反についてみても、その逋脱額は一、一五八万円余という莫大な金額で、しかも貸付及び担保権の設定を第三者名義で行なうなど、その犯情は到底軽視することができないものがある。

いうまでもなく、納税は、国民として当然に果たすべき社会生活上の最も基本的な責務であり、多くの国民は僅かばかりの所得のなかから相当な割合の納税につとめている現状を考えると、本件における被告人の刑事責任はまことに重大であるといわなければならない。してみれば、懲役四月及び罰金五〇〇万円の求刑に対し、被告人の年令など有利な諸事情を充分に勘案し、罰金刑をもつて処断した原判決について、さらにそれが高額にすぎ量刑不当であるとして論難すべき限りではない。論旨は理由がない。

以上のとおり論旨はすべて理由がないので、刑訴法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 細江秀雄 裁判官 深谷真也 裁判官 近藤和義)

昭和五〇年(う)第四五八号

控訴趣意書

所得税法違反 中島六兵衛

右被告事件につき、昭和五〇年二月二五日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し控訴を申し立てた理由は次のとおりである。

昭和五〇年五月二七日

弁護人弁護士 大槻龍馬

同 中坊公平

大阪高等裁判所

第三刑事部 御中

第一点

原判決は、次の三点において判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。(刑訴法三八二条)

1 売上原価について(大村藤吉関係)

原判決は売上原価に関する弁護人の主張に対し

弁護人は、売上原価のうち、被告人が大村ミツヱから取得して吉田官及び小山慎一に売却した京都市左京区浄土寺下馬場町一八番の一その他の土地・建物の売却原価について、検察官はこれを一五三万二、九五〇円であると主張しているが、それは誤りであつて一九一万九、五二四円である旨主張し、その理由を縷々陳述するけれども、これに符号するような被告人の当公判廷における供述部分は、押収にかかる日誌綴二綴(昭和四四年押第一七一号の三・四)に対比し措信できない。かえつて前掲関係証拠、就中右日誌綴二綴によれば、被告人は、昭和三五年九月二〇日、大村藤吉に対し、同人の妻大村ミツヱ所有名義の前記土地・建物を担保に金六六万円を利率月匹分二厘五毛、利息一か月分二万八、〇五〇円天引きで貸し付けたところ、右債務者は、同年一〇月二一日一か分の利息として二万八、〇五〇円、同年一一月二四日一か月分の利息の一部として二万六、四〇〇円をそれぞれ支払つたこと、被告人は、同年一二月二一日右利率を月三分五厘に引き下げ、翌三六年一月二七日債務者から該利率による一か月分の利息として二万三、一〇〇円の支払を受けたが、同二月八日、同人との間で、前記貸金債権及び同人の妻ミツヱに対する貸金債権に対する各元利金合計を一二〇万円と計算し、その代物弁済として前記不動産の提供を受けることに合意ができ、同年一一月八日自己の妻中島徳子名義に所有権移転登記を受けたこと、ところが、当時右建物には賃借人が居住していたため、被告人は、その後、右債務者の協力のもとに賃借人に対してその明渡を交渉し、長期間かかつてその目的を達したのを機会に債務者に対し涙金名義で二〇万円を支払つたほか、右不動産につき、固定資産税等計一三万二、九五〇円を支出したことが認められる。

そうすると、以上の合計額は一五三万二、九五〇円と計算せられ、これが前記不動産についての売上原価であることが明らかなところ、検察官主張の金額もまたこれと一致し誤謬はないから、この点についての弁護人の前記主張は採用できない。

として、その主張を排斥した。

ところが、原判決の事実認定は次の理由により誤つている。

(一) 被告人は、大村藤吉が元京都市長安田耕之助より信任を得ていたほどの人物であつた関係上、貸付については好意的に取扱つていたから、右大村から代物弁済によつて得た物件によつてさして利潤を得たことはない筈であるという朧げなる記憶から、第一審判決認定に不審を抱き、鋭意自宅に残つていた古い文書を探し、また押収にかかる日誌綴(昭和四四年押第一七一号の一、三及び四)のコピーをよく検討した結果、原判示の昭和三六年一一月八日、中島徳子名義に不動産の所有権移転登記をした後、吉田官、小山慎一の両名に転売するまでに右不動産中の建物の居住者に対する明渡請求のため、多額の支出をしていたことを想起した。

(二) 即ち、昭和三六年一二月一一日、京都弁護士会所属前田外茂雄弁護士を代理人として居住者林健次郎及び小山慎一に立退請求の交渉方を依頼し、その着手金として一件四万円合計八万円を支払つた。その後交渉が捗らず、昭和三八年一月遂に同弁護士によつて京都簡易裁判所に両名に対する明渡請求の調停申立がなされた(林関係は同裁判所昭和三八年(ユ)第六号、小山関係は同年(ユ)第二号)。

その後、相手方林健次郎との間においては、相手方代理人赤塚節弁護士との間において、昭和三八年七月一五日限り明渡料三〇万円の支払と同時に明け渡す条件で調停が成立し、右三〇万円は、同日被告人から前田弁護士を介して赤塚弁護士に支払われた(註、昭和三六年一二月一一日の日誌に「前田外しをタノム、上田ニ五〇口、五万、大村-林四万、大村-小山四万、沢山五万 一八万渡 タバコ六〇〇-贈」と記載あり)。

(三) 次いで相手方小山慎一との間においては、相手方代理人赤木文生弁護士との間において交渉が難航し(註、昭和三九年二月二七日の日誌に「小山調停ニ出ル、赤木、前田ニオコツテ席ヲタツ、若クテミニクイ、調停大体成立、3/10次回菊地ニ製図タノミニ行」と記載あり)、漸く昭和三九年三月一〇日小山の居住を認めて同人に八〇万円で売却する旨の調停が成立した(註、同日付の日誌に「○菊地測量小山慎一分払七、〇〇〇円 ○小山調停ニ出ル、小山、赤木、前田成立スル」と記載あり)。

(四) かようにして、二名の居住者に対する事件が解決したので、被告人は、昭和三九年五月六日、前田外茂雄弁護士に対し金一〇万円と三島亭の牛肉の味噌漬(一、五〇〇円)を持つて御礼に行つた(註、昭和三九年五月六日の日誌に「前田外モヲー小山、林の解決-の礼に行、一〇万-三島亭のミソヅケ持参スル、一五〇〇」と記載あり)。

(五) 以上により被告人が前記不動産を中島徳子名義に所有権移転登記をした昭和三六年一一月八日以降、右不動産に関して支出したものは次のとおりである。

(1)昭和三六年一二月一一日 前田外茂雄弁護士支払 八〇、〇〇〇円

(2)昭和三八年 七月一五日 林健次郎立退金 三〇〇、〇〇〇円

(3)昭和三九年 三月一〇日 菊地測量士支払 七、〇〇〇円

(4)昭和三九年 五月 六日 前田外茂雄弁護士支払、手土産 一〇一、五〇〇円

なお原判決が大村藤吉渡金合計一、四〇〇、〇〇〇円のほかに、原価として認容したものは、次のとおりである。

(5)昭和三九年 四月 九日 固定資産税 七、四五〇円

(6)昭和三九年 四月一八日 家屋取こわし代 五〇、〇〇〇円

(7)昭和三九年 五月二五日 久徳払仲介料 七五、〇〇〇円

(8)昭和三九年 五月二七日 車代 五〇〇円

(註)(5)ないし(8)の合計は一三二、九五〇円で、原判決は、固定資産税等と摘示している。

従つて弁護人は、原判決認定以外に(1)ないし(4)の合計四八八、五〇〇円を主張するもので、売上原価の合計は二、〇一一、四五〇円となる。

右の事実と異つた原判決の認定は、明らかに事実を誤認しているもので、右は前記日誌の記載内容について審理を尽さなかつたことによるものである。

2 営業費(一般経費)について

原判決は経費標準率適用に関する弁護人の主張に対し、

弁護人は、被告人の経営する貸金業の形態は、一般の同業者と異つて自宅を事務所に使用している関係上、事業に要した一般経費と生活費とが複雑に混淆し、そのうちから前者を完全に摘示することは著しく困難であるから、これについてはいわゆる経費標準率を適用すべきである旨主張し、その理由を縷々陳述するので、以下これを検討する。

関係証拠によれば、被告人は、これまで主のして数名の金主から借り受けた金員をもつて貸金業を経営してきており、その目的とするところは自己の利潤追求にあつたが、他面金主の半数は知名の士であつて大口の借入先でもあつたから、同人らの利益のためとその氏名を表面に出さないなどの考慮もあつて、故らに事業上の収支を明確ならしめるに必要な諸帳簿を整備せず、ただ僅かに日誌にこれを記載してきたに過ぎないこと、右日誌には、日々の出来事が事業に関すると否とを問わず克明に記載されているが、その各内容が簡単であるため、記載自体からは果して事業に関するものか否か明瞭でないものが相当あり、因みに、検察官が本件起訴に際して事業経費と認めなかつた支出のなかには、事業に関するものではないかとの疑いのあるものがかなりあること、被告人は、従来事業上の取引先の信用を維持するため、その収入については特に記載漏れがないように心掛け、その都度記載するなどして正確を期してきたが、支出についてはその都度記載されたものもあるけれども、なかにはメモ書きや記憶に基づいて後日纒めて記載するなどしているので、収入の記載に比し正確性が低く、誤記や付け落ちがないとはいえないこと等が認められる。

そして右に認定した事実から考えると、被告人が事業上当該年度に支出した一般経費は、検察官の認めた金額よりも相当上回つていることが窺知されるが、それを非事業経費と截然区別することは著しく困難であるから、かかる状況にある以上、これについてはいわゆる経費標準率によつて算定するのを相当と考える。

そこで進んで本件に適用すべき経費標準率を考えてみるに、弁護人は、昭和四五年一一月一五日付朝日新聞に掲載されていた同業者についての経費標準率一割四分七厘を適用すべきである旨主張するけれども、その記事自体がどの程度権威あるものか明らかでない。

もつとも、右主張に符号するような趣旨の証人東野林次の当公判廷における供述があるけれども、これは最近の経費標準率に関するものであるところ、本件は一〇年前における一般経費についてのものであり、しかもその間物価が逐年異常に上昇してきたことは公知の事実であつて、これに伴い一般経費もまた著しく嵩んできたであろうことを窺い知るに足るので、一〇年前の経費標準率は近年のそれより若干下回つていたものと認めるのが相当であるから、右の供述をそのまま本件の経費標準率認定の資料とすることはできないが、そうだからといつて物価の上昇は必然的に事業上の収支の増大を伴なつていることでもあるので、両者の間に著しい格差を認めることは妥当でないと考えられるところ、これらの事実に証人本城初治の当公判廷における供述を勘案すると、被告人経営の貸金業に対する一般経費標準率は、弁護人が当初主張した一割三分をもつて相当と認める。そしてこの対象となるものは、貸金業による収入、すなわち収入利息及び売上であることが明らかである(検察官は、そのほかに売上原価及び支払利息を含めるべきである旨主張するが、これらはいずれも特別経費として取り扱うべきものであるから、右主張は採用しない)から、その合計額金五〇八六万三九三二円に一割三分を乗じて得た金六六一万二三一一円を一般経費として認めるのが相当である。

として、弁護人主張のうち、

(1) 本件には経費標準率を適用すべきであること。

(2) 経費標準率の中には、売上原価、支払利息を含めるべきでないこと。

を認めた上、弁護人主張の経費標準率一四・七パーセントを斥け一三パーセントを採用した。而して右の(1)(2)の認容は極めて正当である。

しかしながら経費標準率の選択に関する原判決の判断は、以下述べるように経験法則を無視した論理に立脚しているため、経費額の算定を誤り、ひいては事実を誤認したものである。

(一) 経費標準率は、一般経費の総収入に対する比率を示すものであることは原判決も肯認するところである。

而して物価上昇は、必然的に一般経費にも、総収入にも均しく影響を及ぼすと見るのが経験法則上の常識であつて、一般経費に及ぼす影響の方が、総収入に及ぼす影響よりも大であるということは、経済界において、特殊の事情が発生しない限り考えられないところである。

そうだとすると、その比率をもつて表示される経費標準率について、本件起訴対象年度である昭和三九年と、朝日新聞記事掲載時である昭和四五年一一月一五日との間に隔差をつけることは、特別の事情が存在しない限り首肯できないところである。

(二) 弁護人は、昭和四四年一二月六日付文書をもつて、当時巷間で仄聞した貸金業者の一般経費標準率として一三パーセントを主張したものであつて、それ以上正確な根拠に基くものではなかつた。

(三) ところが、弁護人が意見書を提出した約一年後の昭和四五年一一月一五日付朝日新聞に、前記のように一四・七パーセントなる記事が掲載された。

(四) そこで弁護人は、昭和四七年三月七日付をもつて原審裁判所に対して、国税庁直税部長宛に朝日新聞の記事のとおりかどうか、ということと、昭和三九年度に限り、しかも貸金業者に限定して経費標準率の照会方を申請し、原審裁判所はその必要性を認めてこれを採用されたが、遺憾ながらイエスともノーとも答はなく、回答が拒否されたのである。

(五) 原判決は、朝日新聞の一四・七パーセントについてどの程度の権威があるものか明らかでないと判示されるが、弁護人主張の一三パーセントは、巷間の噂によるもので、小数点以下一桁に至るまで明確にしている右新聞記事よりも遙かに権威を欠くものであり、原審証人東野林次の証言によつても右新聞記事の方が確度が高いものであることが明らかである。

(六) 而して本件違反の時期である昭和三九年と朝日新聞記事掲載の時期である昭和四五年との間に総収入金と経費の比率に隔差を設けるべき特別の事情も存しないから、当然前記一四・七パーセントをもつて経費標準率とすべきで、原判決は、この点において事実誤認がある。

3 給料及び現物供与(特別経費)について

原判決は、弁護人の橘梅代及び片尾小春に対する給料及び食費の現物供与は、特別経費として認めるべきであるとの主張に対し、右両名は、主として被告人の本宅及び別宅の家事手伝いに従事し時々被告人の言い付けにより貸金業を手伝つていたに過ぎないとして右主張を排斥した。

しかしながら、被告人が原審公判廷で供述しているように、塩見志津子は年令が若く、相手方に対する信用上、同女を使者にすることは適当でない場合が多く、また一時金銭的に不明朗な点も見受けられたので、奥山市三、熊谷次雄等へ利息を届けたり、銀行預金の出し入れ等には、主に塩見志津子よりも橘梅代を使つていたというのであつて、このことは押収にかかる昭和三九年度の日誌によつて極めて明白といわねばならない。

(別添抜萃参照)

塩見志津子の大蔵事務官に対する質問てん末書に「橘梅代は炊事・掃除等家事一切のお手伝いをしており、私のような貸金業の一部を手伝うようなことはしておりません」とあるのは日誌の内容と全く合致しない。

従つて片尾小春についてはともかくとして、橘梅代に対する昭和三九年中における

給料 一五二、〇〇〇円

食費の七割 一二六、〇〇〇円

合計 二七八、〇〇〇円

は特別経費として当然認容されるべきであるのに、これを認容しなかつた原判決は、自己の地位活動ぶりを誇張して物語つた塩見志津子の大蔵事務官に対する質問てん末書のみを重視し、肝心の日誌記載内容の検討を欠いたため、事実を誤認したものである。

第二点

原判決の刑の量定は著しく重く不当である(刑訴法三八一条)。

1 原判決は、被告人の昭和三九年度の所得税について、税額一、一八七万四、五四八円の逋脱を認定した上、被告人を罰金八〇〇万円に処したが、右罰金額は、逋脱税額の六七・三七パーセントというこの種事犯では類例を見ない極めて高率のものである。

2 被告人の昭和三九年度における所得は、原判決認定どおりとしても二、三八二万八、四一四円であるが、被告人は既に、

本税 一七、〇二九、九〇〇円

重加算税 五、九六〇、一〇〇円

延滞税 一、一六〇、〇〇〇円

府市民税 一、五七五、八三〇円

延滞金 四五八、〇〇〇円

合計 二六、一八三、八三〇円

(前記所得よりも二、三五五、四一六円多い)

を納付し、なお九、八二二、九五〇円が未納となつているのである。

原判決が、被告人の情状を斟酌して罰金刑を選択された点については、被告人は感泣しているものであるが、被告人にとつては、右未納税額の負担のうえ、さらに八〇〇万円という巨額の罰金刑はあまりにも過重な負担となるので、同種事犯とかけ離れない程度に御減刑を求める次第である。

以上の理由により原判決を破棄し、原審に差戻すか、もしくは貴裁判所においてさらに御審理の上、相当の裁判を仰ぎたく本件控訴に及んだ次第である。

(注) 三六・一二・一一

三九・二・二七

三九・三・一〇

三九・五・六

の四枚の物証の写真は省略

昭和39年 日 誌

橘梅代関係 抜 萃

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例